風の吹く丘で

車窓から見える風景が、無機質なコンクリートの群れから木々の群れへと変わってからかなりの時間が過ぎていた。
翔一「もうすぐかな・・・」
目に映る風景が見覚えのある景色へ変わってきた頃、僕は誰も居ない車内でそう呟くと、隣の席に置いてある自分の荷物をまとめはじめた。
祖母の家のある田舎へ夏休みを利用して泊まりに行くのは、幼い頃からの習慣だった。
都会に生まれ、育ち。自然をあまり知らない僕は、一人で毎年のようにこの田舎へとやってきていた。
誰に強制されているわけでもなく自分から。
交通の便が悪く、僕の住んでいる町からはかなりの距離があるんだけど、
それでもそんなことが苦にならないくらい、僕は自然に囲まれたあの村が好きだった。

アナウンス『次は〜風流〜風流〜』

車内アナウンスが目的地へ着いたことを知らせてくれる。
風流村。
山と山の間の盆地にあるこの小さな村は、その名前の通り時折、渓谷から村へと風が流れ込んでくる場所に位置する。
その風を利用するために村の至る所には風車が建っていて、どこか欧米の田舎町を思わせるような雰囲気を漂わせている。
僕は座席から立ち上がり背筋を伸ばすと、長時間座っていて固くなっていた筋肉を伸ばした。
やがて列車がゆっくりと速度を落として止まり、片側の扉が大きな音を立てて開く。
すると、都会では感じられない田舎独特の臭いが鼻孔をくすぐった。
車窓から入ってきていた微かな臭いを、今度は大きく深呼吸をしながら身体いっぱいで感じる。
翔一「やっぱり・・・ここはいつ来ても良いな・・・」
???「翔一っ!」
ふと、懐かしい声に自分の名前を呼ばれて振り返る。
そこには、もう八十を過ぎているのにも関わらず、相変わらず元気な祖母の姿があった。
翔一「ばあちゃん。わざわざ迎えに来なくても良かったのに・・・」
祖母「久々に見る孫の顔だからじっとしていられなくてねぇ。気づいたらここまで来てしまってたんだよ」
それがいつものやりとり。
僕はいつも憎まれ口を叩いているけど、祖母が迎えに来てくれるとこの町に来たことが実感できるから実は内心嬉しく思っている。
祖母「それじゃあ、行こうか」
挨拶もそこそこにそう言うと、僕でさえ運ぶのに苦労していた荷物を軽々と持ち上げ、村の方に向かって歩き出す。
翔一「ちょっと、待ってよばあちゃん」
そんな祖母の背中を追いかけていくのも毎年のこと。
山々から蝉の声が五月蠅く鳴り響いてる中を、駅前から村の方へと真っ直ぐ伸びている砂利道を祖母と二人で歩く。
この風流で、僕の夏が始まった・・・。


翔一「それじゃあ、ばあちゃん行ってくるよ」
祖母「あぁ、行っておいで。夜には帰ってくるんだよ」
祖母の家に着き、自分用にあてがわれている部屋に荷物を置くと、その中から必要な物をリュックの中に詰めて祖母の家を後にする。
僕にはいつも、この町に来たら行く場所があった。
駅とは反対方向へ、山の方へ向かって少し歩いていくと、そこには緩やかな丘陵が広がっていた。
高台にあるこの丘陵からは村全体を見渡すことが出来る。
ここから見る村はまるで時が止まったかのように思えて・・・。そんな風景を見ているだけで、心が安まるような気持ちにさせてくれる。
そしてなにより、丘陵の頂上にある一本の芙蓉の樹の近くは”風”が一番感じられる場所でもあった。
その木の下に着いた僕は草の上に腰を下ろし、しばらくその風を感じることにした。
夏の強い日差しを芙蓉の木の木陰で避け、流れ込む風を思う存分に感じる。
都会では感じられない、自然の中だからこそ感じられる心の安らぎ。
それを感じるために、僕は毎年この村へと来ていた。

翔一「さて・・・と」
しばらくそんな中で安らいでいた僕は、本来の目的の為の準備を始める。
デッサン用の鉛筆が入っているペンケースを傍らに置き、持ってきたリュックの中から一冊のスケッチブックを取りだして広げる。
中に描かれているのは、今、僕の目の前に広がっている景色。
昔から絵を描くことが好きだった僕は、毎年この村へ来るたびに一枚の風景画を描いていた。
何で始めようと思ったのかは今でも分からない。ただ、この大好きな風景を都会に帰っても忘れたくなかったからかもしれない。
翔一「今年は・・・どのあたりを描こうかな・・・」
そう思って村の方を見ながら描く場所を考えてると、後ろからがさっと、誰かが草を踏み分けた音が聞こえた。

反射的に振り返った僕の目に映ったモノは・・・
???「ぁ・・・こんにちは」
腰にまでかかる長い髪を抑えることも無く、吹いてくる風に靡かせて立っている一人の少女だった。
???「ご、ごめんね。なんか驚かせちゃったみたいで」
屈託のない笑みを浮かべて少女が僕に話しかけてくる。
翔一「あ、いや・・・別に気にしてないよ」
目線を元の位置へ。村の方へとそらして生返事をする。
この場所で人に会う事なんて今まで無かったから、なんだかドキドキして妙に焦っていた。
???「・・・何を、描こうとしてたの?」
手に持っているスケッチブックが目に入ったのだろう。彼女が開かれたそのページを覘き込むようにして聞いてきた。
翔一「村の風景・・・」
???「ふぅん。キミって絵描きさんなんだ」
翔一「いや、そういうモノじゃないよ・・・趣味みたいなモノだから」
絵を描く事が好きなのは確かだけど、ただ、なんとなく描いてるだけなので、誰かに見せたこともなく、絵描きと呼ばれるほど上手い訳でもなかった。
翔一「君は何やってたの?」
今度は僕が少女に聞いてみた。
こんな村の外れにある丘陵になんか、村の人間でもあまり立ち寄りはしないと思う。
???「私? 私はね・・・」
そう言うと、彼女は芙蓉の木の近くにある大きな岩の上に登り、両手を大きく左右に広げた。

同時に一陣の風がその場所を吹き抜ける・・・。

???「ここは私の好きな場所なんだ」
???「ここに立って風を受けると、この自然の中に私自身が溶け込めるような気がするから・・・」
彼女の長い髪が風に乗って、再び宙を舞う・・・。
言葉には言い表せないけど、手元にカメラがあったら撮って置きたいような、そんな、すごく幻想的な光景だった。

そして、風が止むのと同時に彼女が石の上から飛び降りて僕に言った。
真白「私は汐見真白っ。キミは?」
翔一「ぇ? ぁ、ぼ、僕は春野翔一」
いきなりだったので、つい、反射的に答えてしまった。
真白「あはは。ここで会ったのも何かの縁だし、よろしくね翔一」
そう言って僕に満面の笑みを向けてくれる。
それが、僕と彼女との出会いだった。


祖母「汐見真白・・・さん?」
翔一「うん。今日、あの丘陵で会ったんだけど・・・ばあちゃん、その子の事知ってる?」
祖母の家。昔ながらの囲炉裏端で祖母と一緒に夕飯を食べていた。
そこで僕は、さっき出会った汐見真白という少女の事を聞いてみた。
小さな田舎だから村の人間のことくらいは祖母も知っていると思う。けど・・・
祖母「はて? そんな子この村におったかのぅ・・・」
祖母「最近物忘れが激しいから忘れているだけかもしれんけど」
翔一「そうなんだ・・・」
祖母「汐見・・・汐見・・・」
そう言って、祖母は譫言のように呟き始めた。どうにかして思い出そうとしてくれているらしい。
翔一「ばあちゃん、思い出せないなら・・・」
祖母「あぁ、汐見さんっ! 思い出したよ!」
いきなり祖母が大声を上げたので、驚いた僕は手に持っていた箸を思わず落としてしまった。
流石田舎の人・・・声が大きい・・・。
翔一「思い出したって・・・。じゃあ、あの子はこの村の子なの?」
祖母「正確に言えばこの村の子じゃないんだけどね。一年程前にこの村に一人でやってきたんだよ」
翔一「それって・・・」
祖母「なんでも、彼女の両親に不幸があってねぇ。誰も引き取る身内の者が居なくて、遠い親戚が居るこの村に来たって話だよ」
祖母「村に来たときはたいそう落ち込んでいて、誰とも話さなかったくらいで・・・。引き取った森下さんも困っていたねぇ・・・」
翔一「・・・・・・」
彼女にそんな過去があったなんて全然思いもしなかった・・・。
昼間会っていた時のあの明るさはなんだったんだろう・・・。あの屈託のない笑顔は・・・。
無理していた?
・・・そういう風には見えなかった。少なくとも僕には。



次の日。僕はいつものように芙蓉の木の下へと来ていた。
この村に滞在できるのは5日間。昔は夏休みの間中ここに居た事もあったんだけど、流石にやることが他にもあるので今はそうもいかない。
翔一「さてと・・・。描き始めるかな」
昨日は彼女と話してしまったために、絵の方は全くと言って良いほど手がつけられなかった。
多分余裕はあると思うけど、残りの4日間の内になんとか仕上げないとな・・・。
僕は昨日と同じように村全体を見回して、対象となる風景を探し始める。
そして数分後。村の一角に新しく風車小屋が建っているのに気づいた。
・・・確か去年までは無かったはずだ。
翔一「あそこにしよう・・・」
村に起きている変化を描くのもなんだか面白い気がして、僕は真っ白なページに早速鉛筆を走らせ始めた。


真白「こんにちはー」
風景の構図が取れて少しずつ絵の全体像が見えてきた頃。後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
翔一「あ・・・汐見さん。こんにちは」
真白「・・・・・・真白」
翔一「え?」
良く聞き取れなかったけど彼女が何か呟いた気がした。思わず僕は聞き返す。
真白「ま・し・ろ!」
翔一「え、あぁ。ましろ・・・さん?」
真白「”さん”も余計!」
ちょっと怒った口調で僕を制す。
翔一「ま、真白・・・」
真白「よろしい」
なんていうか・・・昨日もそうだったけど、彼女の独特のペースは疲れる。
祖母が言っていた話が嘘何じゃないかっていうくらいに、彼女は・・・真白は凄く明るい子だった。
真白「あ、描く場所決まったんだ」
スケッチブックに描き始められた絵を見て、彼女が楽しそうに言う。
翔一「うん。あそこに見える風車は去年までなかったはずだから、そんな変化を描くのも良いかなって」
真白「ふ〜ん・・・」
真白「あ、ご、ごめんね。描いてる時に邪魔しちゃって」
翔一「良いよ全然」
真白「もしかして私、昨日も邪魔してたかな?」
ちょっとだけ声のトーンを落として、申し訳なさそうに彼女が言う。
翔一「大丈夫だよ。ここに居られる時間は少ないけど、僕の中では絵ってのんびりと描くものだと思ってるから」
気にしないで良いよと笑いながら答える。
でも、その言葉を聞いた途端に彼女が黙り込む。
真白「・・・・・・」
翔一「・・・真白?」
真白「少ないって・・・どれくらい?」
翔一「あ、えっと、5日かな・・・」
翔一「昨日この村に来たから正確には後4日間」
真白「そう・・・なんだ・・・」
彼女の顔が一瞬だけど、影を落としたかのように暗くなったように見えた。
翔一「どうかした?」
真白「あ、ううん。何でもないよ」
真白「そっか、後4日しか居られないんだね・・・折角友達になれたのに寂しいな」
でもすぐに元の明るい表情へと戻る。
ちょっとした違和感・・・。
翔一「そう・・・だね。でも来年もまた来るから」
真白「そうなの?」
翔一「うん。僕って夏休みは毎年ここに来てるから」
真白「へぇー。それってやっぱり絵を描くため?」
翔一「それもあるけど。この風と自然が好きだから・・・かな」
都会に生まれた僕だけど、目まぐるしく時間が過ぎ去っていくような、あの息苦しい雰囲気はなんとなく好きにはなれなかった。
真白「私と・・・同じだね」
そう言った彼女の顔はさっきのように暗い感じがした。
やっぱり・・・祖母が言ってたことは本当の事かも知れない・・・。



3日目。
起きた頃には既に太陽は昇りきっていた。いつもならあの丘で絵を描いてる時間だ。
時間に縛られていないこのゆっくりとした中で過ごしていれば、寝坊と言うものがあってもおかしくは無い。
僕は起き上がると、閉まっていた引き戸を開けて太陽の光を部屋の中へと取り込んだ。
この時間だったら祖母は既に畑の方で仕事をしている頃だろう。
翔一「今日はばあちゃんの手伝いでもしようかな・・・」
絵の方は予想に反して大分進んでいた。昨日の内に下書きは完成していたので、後は細かいをして色をいれるだけ。
その作業も昨日の夜の内に少し進めて置いた。
毎年描いているだけあって、描くのが大分慣れてきたせいもあるかもしれない。
翔一「さてと・・・ご飯食べたら畑の方に行ってみようかな」
着替えを済ませると、僕は居間に用意してあった朝食を食べ始めた。
冷めてはいたけど、取れたての材料で作った料理は美味しかった。


朝食を食べた僕は、家から500m程離れた場所にある祖母の畑へと向かっていた。
翔一「それにしても・・・」
僕は辺りを見回してみる。
翔一「・・・本当に何もないな」
毎年のようにこの村に来てるけど、村の変化を見つけるのは本当に難しい。
周りに見えるのは木と土と水。畑やちらほらと建っている茅葺き屋根の家と風車。
数年前からこの風景は何一つ変わっていなかった。
そんなことを思いながら歩いていると、目的の畑で野良仕事をしている祖母の姿が見えてきた。
翔一「ばあちゃん! 手伝いに来たよっ!」
その祖母に向かって僕は声を張り上げた。
この広い畑では大声を出さないと相手に聞こえないので、結構疲れる。
そんな僕の事に気づいた祖母が、嬉しそうな顔でこっちへ近付いてきた。
翔一「何か手伝う事ないかな?」
祖母「そうだねぇ・・・それじゃあ、この取れた野菜を納屋に運んでくれない?」
翔一「・・・りょーかい」
僕はリアカーの上に山積みにされた野菜を見て少し呆然としたけど、少しずつ、持てる範囲で運ぶことにした。


翔一「はぁ・・・はぁ・・・」
家と畑を往復すること3回目。
リアカーに最後の野菜の束を乗っけて、蝉時雨が頭上から降り注ぐ炎天下の中、家までの道のりを頑張って歩いていた。
昔からこの仕事を手伝っていて、少しは筋力の付いてるはずの僕も流石に疲れていた。
リアカーを引いている両腕は既にパンパンだし、足にもあまり力が入っていない。
明日は筋肉痛確定だと思う。
翔一「あと・・・もう少し・・・」
ようやく家の入り口が視界に入ってきた。だけどその光景を目にして気が緩んだのか、急に視界がぼやけだした。
ちょっと無理しすぎたらしい。緊張感の失った手足から徐々に力が失われていく。
真白「翔一・・・何やってるの?」
思わず地面へと膝をつきそうになったとき、ぼやけた視界の中に入ってきた真っ白な服を着た彼女が、陽光に照らされて天使のように思えた・・・。


翔一「ありがと・・・真白」
軒先に座った僕達は冷たい麦茶の入ったコップを片手に休憩していた。
真白の言葉で再び覚醒した僕は、最後の気力を振り絞ってなんとか納屋まで野菜を運ぶことが出来た。
真白「いいって、いいって。それにしてもよくあんな重い物運べたね」
翔一「あはは・・・」
翔一「でも、いつもならばあちゃんが一人で運んでるんだから、ホント凄いと思うよ」
かぼちゃ1個だけでも2kg近くはあると思う。それを数十個単位で毎日運んでるんだから、田舎の人の力強さというのには頭が上がらない。
翔一「そういえば、真白は家の手伝いとかしないの?」
本当に何気なく聞いた単純な質問。
でも・・・その単純な質問が、彼女に暗い影を落とすことになってしまった。
真白「・・・・・・私は」
さっきまで陽気だった彼女の雰囲気が一転する。
唇の端をギュッと噛んで、何かに堪えるようなそんな仕草。
でも、やっぱりそれはほんの一瞬の出来事で・・・
真白「うん。ちゃんとやってるよ。今日の朝だっておばあちゃんの手伝いをしてきたんだから」
再び僕の方へ向けられた顔には満面の笑みが浮かんでいた。
真白「それより、今日は絵は描かないの?」
そして不自然な話題転換。
・・・やっぱり、彼女に”家族”の事を聞くのはタブーみたいだ。
まぁ、知り合ってまだ間もない僕に話すはずもないか。そう思って僕は彼女の話題に合わせることにした。
翔一「ちょっと今日は寝坊しちゃって・・・起きたのが昼過ぎだったんだ」
真白「あーっ。ちゃんと規則正しい生活しないとダメだよ。ただでさえこの村に居ると時間にルーズになっちゃうのに」
翔一「・・・善処するよ」
確かに彼女の言う通りかも知れない。
去年もこの村に2週間程居たんだけど、都会に帰った僕は3日間何もする気が起きなくて、ずっと寝ていたのを覚えてる。
翔一「でも、昨日は結構進んだんだ。色も少しずつ塗り始めたし」
真白「そうなんだ。じゃあ、もうそろそろ完成するんだね」
翔一「うん。明日一日頑張れば多分完成すると思う」
元々は落書きみたいな物だから、そんな力を入れて描く必要はない。
真白「それじゃあ、今日は暇なんだよねっ?」
急に彼女の声が明るくなった。
翔一「あ、うん。特に何もすることがないから、ばあちゃんの手伝いしてたわけだし」
真白「それじゃあ、今から遊びに行かない?」
翔一「遊びに?」
確かに、まだ時刻は世間一般に言えばおやつの時間だった。
これからどこかに遊びに行っても、日が落ちるのが遅い夏ではまだまだ遊べる。
翔一「でも・・・どこで?」
だけどこの村に遊べる場所なんて無かったはずだ。あるのは自然と茅葺き屋根の家と風車。
真白「田舎を馬鹿にしちゃダメだよ。遊ぼうと思えば何処でだって遊べるんだからっ」
祖母「そうだよ翔一。都会より田舎の方が遊べる所が多いんだからね」
いつからそこにいたのか、祖母が納屋の中から声をかけてきた。
翔一「ばあちゃんか・・・。いきなり声かけないでよ」
祖母「あははっ。驚かせちゃったかい。えっと、こちらのお嬢さんが汐見真白さん?」
真白「え、あ・・・はい・・・。初めまして・・・」
祖母「あらら。可愛い娘じゃないか。ほら、折角なんだし遊びに行って来なよ」
そのまま祖母のペースにはまってしまった僕達は、せかされるように家から追い出されてしまった。
翔一「・・・・・・」
真白「・・・・・・」
二人してしばらく無言になる。真白の方は呆然としてしまっている。
まぁ、無理もないか・・・。僕は昔からこのペースに付き合わされてるから慣れてるんだけど・・・。
真白「・・・ぷっ。あははははっ」
今まで呆然としていた彼女が、急に声を出して笑い始めた。
真白「あははっ。翔一のおばあちゃんって面白い人だね」
翔一「そ、そうかな?」
真白「うん。私、あーいう人好きだよ」
そう言ってまた笑い始める。心の底から笑っている笑顔。これが彼女の本当の・・・
翔一「・・・笑ってる顔初めて見た」

真白「・・・ぇ?」

翔一「いや・・・何でもないよ。行こうか」
そう言って僕は歩き始めようとするが、彼女に服の裾を捕まれ歩が止まった。
振り向いた僕が見たのは、今まで見たことのない彼女の表情だった・・・。
暗くて、寂しくて、悲しくて、今にも泣き出しそうな・・・。そんな感情を必死に押さえ込もうとしている表情。
でも懸命に笑おうとしている。
そんな彼女にかけられる言葉を僕は持っていなかった・・・。



4日目。
まだ日の昇りきっていない朝から、僕は丘に来て絵を描いていた。
昨日見た真白のあの表情が頭の中から離れずに、昨日はなかなか眠れなかった。
今日になってもその事が忘れられずに頭の中を渦巻いている・・・。
あの後、彼女は「ごめん」と言う言葉を残して走っていってしまった。
初めて見た彼女の表情に戸惑っていた僕は後を追うことも出来ずに、その場に立っている事しか出来なかった。
何も、出来なかった・・・。
後悔。彼女に対する懺悔。自分への苛立ち。
自分の中に生まれてくる様々な感情を絵を描くことで押し込めていた。


がさっ
何時間そうしていたんだろう。
時間の感覚なんて全然無くて、ただ、筆を紙に向けて一心不乱に走らせていると、僕の後ろで音がした。
3日前。初めて出会った時と同じように、立っていたのは冷たくなってきた風に髪を靡かせた少女。
だけどその少女は僕の知っている少女ではなく、祖母から聞いていた『汐見真白』というまったく別の少女だった。

翔一「・・・真白」
真白「こんにちは・・・っていうより、もう、こんばんはだね」
言われて辺りを見回すと、既に西の空が赤くなりはじめていた。
そんなに時間が経っていたんだ・・・。
真白「先に絵を描いて良いよ。私、待ってるから・・・」
翔一「あ、うん・・・。すぐ終わらせるよ」
僕が再び筆を走らせ始めると、彼女が僕の隣りに腰を下ろした。
横目でちらっと彼女の表情を見てみたけど、どこか遠くを見てるような、そんな表情だった。


それから数十分が過ぎた頃、僕は持っていた筆を置いた。
真白「終わったの?」
翔一「うん。これで、完成かな・・・」
スケッチブックを彼女に渡して、完成した絵を見せる。思えば、誰かに絵を見せたのはこれが初めてかも知れない。
真白「やっぱり翔一は絵が上手いよ。私が保証する」
翔一「そう・・・かな・・・」
真白「うん。展覧会とかに飾られている様な絵だもん」
翔一「・・・ありがと」
評価と呼ばれる事は今までに経験がなかったから、歯がゆい様な感じがして、妙に照れくさく、そんな言葉しか思い付かなかった。

真白「私の笑顔って・・・やっぱりどこかおかしかったかな・・・」
突然、スケッチブックを閉じて彼女が切り出した。
真白「翔一の前では笑顔で居ようと思ってたんだけど・・・失敗してたみたいだね」
翔一「いや、どこもおかしくなかったよ」
翔一「ただ・・・昨日の本当に笑ってる顔を見たら、今まで見てきた表情と全然違ってたから」
真白「そっか・・・」
真白「私ね・・・・・・家族が居ないんだ・・・」
翔一「うん・・・」
真白「驚かないんだね?」
翔一「前に・・・初めて会った日にばあちゃんに聞いたんだ。真白のこと」
真白「そうなんだ・・・」
真白「それじゃあ、ちょっとは話しやすいね・・・」
真白「私は、1年前まではこの村に居なかったんだ。その前に居たのは・・・・・病院」
翔一「え・・・?」
予想もしていなかった言葉に驚き、声をあげる。
真白「私、3ヶ月間入院してたんだよ。ある事件のせいで・・・」
それから彼女は少しずつ話し始めた。
作り笑いを浮かべていた訳を。


真白「あの頃。私は本当に・・・ごく普通の学生として生活してたんだ」
真白「お父さんが居て、お母さんが居て・・・そして年の近いお姉ちゃんが居て・・・」
真白「本当に普通の生活をしてた」
真白「ある休みの日。部活から帰ってきた私は、玄関を開けた所で家の中の異変に気づいた」
真白「玄関の鍵は開いていたし、部屋の灯りもついてるし、リビングからはテレビの声も聞こえる。いつもと変わらない家の中の雰囲気」
真白「でも・・・どこか違ってた」
真白「ヒトの動いてる気配がない」
真白「私は不思議に思って、いつもお父さんとお母さんが居るリビングに行ってみることにした」
真白「家に入ったときに感じた違和感・・・臭い。錆びた鉄のような・・・鼻をつく刺激臭」
真白「それが、リビングに近づくにつれてだんだんと濃くなっていく。多分、私にはこの先に何がアルのか理解ってたと思う」
真白「だけど、理解ってても思考がついていってなくて・・・。私は、無意識のうちにリビングのドアノブに手を掛けて・・・」
真白「そして・・・」
真白「リビングに入った私の目に映ったのは、床や壁を濡らす・・・アカ・・・イ・・・・・・っ」
そこで彼女は頭を抱えてうずくまった。
翔一「・・・大体の予想は付くから、辛かったら話さなくて良いよ」
真白「う・・・ん・・・」
僕は少しでも楽になればいいと、震える彼女の肩を抱いた。
真白「そして・・・次に私の目に映ったのは病院の壁」
真白「私、その間に何があったのか全く覚えて無くて、気づいたら病院のベットの上で寝てたんだ」
真白「先生に聞いても何があったのか教えてくれないし、お父さんもお母さんも・・・お姉ちゃんも居なかった」
真白「そして数日後」
真白「ベットの上で寝ていた私の耳に看護士達の声が入ってきた」

看護士『・・・あの子の家族、突然入ってきた強盗に殺されたらしいわよ』
看護士『え、そうなの? 可愛そう・・・』
看護士『警察の人の話だと、家の中は酷い光景だったみたいね』
看護士『えぇ。部屋の中が、三人分の血で朱く染まっていたんですって・・・』

翔一「・・・・・・」
その悲惨な光景を思わず頭の中に思い浮かべてしまい、軽い吐き気と眩暈に襲われる。
真白「その内容だけで、私が再び闇の底へ落ちるのは簡単だった」
真白「次に目が覚めたのは一週間後」
真白「その時は、私が私じゃないようなそんな感覚がした」
真白「どこか他人事のように自分を見ている私が居て・・・生きている実感という物を感じられなかった」
真白はぎゅっと僕の服を握り、賢明に何かを堪えていた。
真白「そんな私が学校へいけるはずもなくて、親戚の人達には誰も受け入れられないまま病院での生活を余儀なくされた」
真白「でも、あの頃の私にとっては普通の生活なんてする気も無くて、むしろ、決まった人間にしか会わない病室の方が過ごしやすかった」
真白「そんな中、今から丁度1年くらい前。私のことを引き取ってくれる人が現れた」
翔一「それが・・・真白のおばあちゃん?」
真白「うん・・・。私とは殆ど面識が無くて、私が小さい頃に一度だけ会ったことのある遠い親戚の人だった」
真白「どこで生活するのも一緒だと思っていた私は、素直におばあちゃんの手を握ってこの村へとやってきた」
真白「だけど列車を降りた私を待っていたのは、都会の雑踏とか、嫌なことを全て忘れさせて、今まで塞ぎ込んでいた私がちっぽけな存在だと思わせてくれる自然と、」
真白「全てを包み込んでくれるような柔らかな風」
真白「少しだけ、私っていうモノが戻ってきた瞬間だった」
真白「でもこの村の人達はね、私の境遇のことをみんな知っていた。こんな小さな村だから噂はすぐに広まっちゃうんだ」
真白「だから私のことを見るとみんな哀れみの表情を向けてくる。私にはそれが堪えられなかった」
真白「だから誰とも口を利かずにずっと家の中で引き籠もっていた」
真白「でも、去年の夏。一度だけ外に出たことがあるんだよ」
真白「行く当てもないままこの村を歩いて、彷徨って・・・。その時に見つけたのがこの場所」
真白「いつも村に吹いている風の匂いとは違って、なんだか別の匂いがして・・・すぐに私はこの場所が好きになった」
真白「そして、あの大きな岩の上に立って思いっきり風を感じていると、不意に人の気配がしたんだよ」
翔一「それって・・・」
彼女はこくりと頷いた。
真白「うん・・・。岩の陰に隠れて気配がした方を見てると・・・絵を描いてる翔一が居たんだ」
真白「村の人達とは違った雰囲気を持った翔一に私は興味を持った。思えば、あの事件の後に私が初めて抱いた興味だったのかも知れない」
真白「その後、家に帰った私は思い切っておばあちゃんに翔一のことを話してみたんだ」
真白「私に話しかけられたことに余程驚いたのか、おばあちゃんは結構戸惑ってたみたいだったけど。ちゃんと教えてくれたんだ翔一のこと」
真白「毎年夏になるとやってくる、無名の絵描きさんだって」
そう言って僕の腕の中で彼女が笑い出した。
なんだよその無名の絵描きさんって・・・。あっ!
翔一「ばあちゃんか・・・」
真白「うん。当たり。この村じゃ翔一って結構有名なんだよ?」
翔一「そ、そうなんだ・・・。なんか恥ずかしいな」
真白「あはは。それだけ翔一の絵が上手いっていう証拠だよ」
そしてまた笑い出す。
翔一「それじゃあ、真白は去年から僕のこと知ってたって事?」
真白「うん・・・実はね」
ちょっと照れたように彼女が答える。
翔一「なんだ・・・。じゃあ、その時に声かけてくれれば良かったのに」
真白「私もそうするつもりだったんだけど、次の日あの丘に行っても会えなかったんだ」
翔一「あ・・・そっか。去年もここにいたのは一週間ぐらいだったからな・・・」
彼女が僕にあった日は、ちょうど絵を描き上げた日だったんだろう。
次の日の朝には僕はもうこの村に居ないわけだから、この丘に来ても僕には会えない。
真白「私も翔一が帰っちゃったって、その日の内におばあちゃんから聞いたよ」
真白「その日以来、おばあちゃんとは少しずつ話せるようになったんだ。でも村の人達とは全然話せなかった」
真白「そして考えたんだ。村の人じゃない、私の事情を知らない人となら話せるかもって」
真白「それから、早く夏が来ないかなって思うようになってきて、目標を見つけた私は生きてる実感するようになってたんだよ」
真白「そして今年。翔一がまたこの村に来た」
真白「そのことをおばあちゃんから聞いた私は、一目散にこの丘に来て翔一の事を見つけた」
真白「でも・・・2年間も感情を表に出したことがない私には、自然な表情を作ることなんて出来なかった」
真白「だから翔一と話してみても、結局は何も変わらなかったんだ・・・」
真白「村の人なんて全然関係なかった。私がずっと自分の殻に閉じこもってたのがいけなかったんだね・・・」
翔一「でも・・・」
真白「ん?」
翔一「でも、今の真白はちゃんと自分から笑ってるよ」
自分のことを話す彼女を見てると、作った表情ではない、自然な表情を出せていると思う。
真白「それはきっと・・・」

スッ

真白が何かを紡ぎかけようとした時、急に辺りが暗くなった。
真白「陽、落ちちゃったね」
西の空を見ると完全に太陽が見えなくなっていて、辺りもかなり暗くなっていた。
翔一「そう・・・だね。まだ話すことはある?」
真白「あ、うん。もう、大丈夫だよ。ありがと・・・最後まで聞いてくれて・・・」
翔一「僕にはこれくらいしかできないから・・・」
翔一「さてと、もう遅いし帰ろうか」
真白「うん・・・」
お互い立ち上がると一度大きく深呼吸した。そして自分たちの家へ向かって歩き始める。


真白「あ、そうだ。明日は何時の列車に乗るの?」
翔一「7時のやつ。夜までには向こうの家に着きたいから」
真白「そっか・・・もう、翔一ともお別れなんだ。折角、自分に素直になれたと思ったのに・・・」
翔一「来年も絶対に来るから・・・その時にまた遊ぼう」
真白「うんっ。絶対に、約束だよっ」
そう答えた彼女の顔は、心の底から本当に笑っていた。



5日目。
朝。僕は駅のホームに居た。
祖母「忘れ物はない? 家に戻ったら連絡するんだよ?」
まるで小さい子供を送り出す母の様に、祖母が僕に話しかけてくる。
翔一「ばあちゃん。子供じゃないんだから大丈夫だって」
真白「私から見れば翔一はいつまでも子供なんだよ」
そんないつものやりとり。この村に来たときはいつもこんなやりとりで始まって、そして終わる。
だけど今年はちょっと違っていた。


真白「翔一っ!」
もう聞き慣れた声と共に、真白が道の向こう側から走ってきた。
祖母「あら、真白ちゃん。わざわざ見送りしに来てくれたの? ごめんなさいねぇ」
真白「いえいえ。翔一には色々とお世話になりましたから」
笑顔で祖母に答える真白。
流石の祖母もこれには驚いたのか目を白黒させている。そして何かを悟ったかのように・・・
祖母「あはは。それじゃあ若い恋人同士に後は任せて、年寄りは退散するかの」
翔一「なっ!!」
真白「――――――っ!」
祖母の言葉に言葉を詰まらせる僕。真白は恥ずかしがって俯いている。
祖母「じゃあね翔一。また来年も来るんだよ」
そう言って、祖母は手を振りながら駅から離れていった。
真白「あはは。やっぱり翔一のおばあちゃんって面白い人だね」
そんな姿を見ていた真白が笑い出す。
翔一「そうだね。僕もそのことを再認識したよ・・・」
真白「列車の時間は大丈夫?」
翔一「後、発車まで5分くらいかな」
既に列車はホームに到着していて、持ってきた荷物は全部中に運んである。後は定刻に列車が発車するのを待つだけだ。
真白「そっか。後5分で来年までもう会えなくなるんだね・・・」
翔一「まぁ、来年なんてすぐだよ。それに夏休みに入ったらなるべく早くこっちに来るようにするから」
真白「そう・・・だよね。じゃあ、私はそれまでにこの村に馴染んでおくようにするよ」
翔一「真白の性格だったらすぐにでも馴染めると思うよ。それにこの村の人はいい人ばかりだと思うし」
真白「うん」

アナウンス『間もなく列車が発車します・・・』

駅員の人がマイクを片手にアナウンスを開始する。
翔一「それじゃあ、行くから。それと・・・」
僕は列車に乗り込むと、中に入れてあった荷物の中からスケッチブックを取りだしその中の一ページを破った。
車窓を開けて、それを彼女に手渡す。
翔一「昨日の夜描いたんだ。時間がなかったからそんなに上手くは描けなかったけど・・・」
真白「・・・え? これって・・・・・・私?」
手渡されたそのページを見て、彼女の目が大きく見開かれる。
翔一「うん。ちょっと描いてみたくなって・・・。迷惑、だったかな?」
真白「ううんっ! すごく嬉しいよ、ありがとう・・・」
真白「えっと、私からも何かお返しが出来れば良いんだけどな・・・」
彼女が何を渡すか考えてると、発車のベルがホームに鳴り響いた。
真白「え、あ、どうしよう・・・。そ、そうだ、これあげるよっ!」
そう言うと、彼女は自分の髪を結わいていたリボンを外して僕に手渡した。
翔一「え? いいの?」
真白「うん。来年、必ずここへ来る約束の証っ! それと・・・」

翔一「!」
真白「・・・・・・浮気しないおまじないっ」

車窓から身を乗り出していた僕の唇に暖かいものが触れるのと同時に、列車がゆっくりと動き始める。

真白「・・・それじゃあね」
軽く頬を染めながら彼女が手を振る。
それに辛うじて答えることの出来るくらいに呆然としている僕を乗せ、ゆっくりと、でも着実に列車は村から離れ始めた。


僕が我に返ったときには既に列車は一定の速度にのっている頃だった。
窓から身を乗り出すと、村の方から吹いてくる風を身体いっぱいで受けた。
『来年の夏。この風流村で・・・またここで逢おうね』
その風に乗ってそんな声が微かに聞こえてきた気がした。