天使の舞い降りた日 第1章 Act.1 変化の兆し

ユキ「退屈だな・・・」

目の前にある魔導書を軽く流し読みしながら、鉛筆を指でぐるぐると回して溜め息混じりの小声でぼやいてみる。
何枚ページをめくってみても、読んでいる魔道所に書かれている知識はどれもこれも平凡なことばかり。
確かにこの魔導書にはBランク以上の知識が掲載されていて、庭の中でも高い位置に属するものだとは思うけど・・・。
なんというか・・・。どこにでも置いてある”教材”ということもあって、常識の枠から外れた事は何一つ書かれていなかった。
常識を知ることは大切なことだろうとは思う。だけど、そんなんじゃ独創性を持つことは出来ない。
枠に捕らわれて常識人が大量に量産されてしまったら、詠唱の時に発する自己暗示だって、みんながみんな、同じ詞を発することになるのではないかと思ってしまう。
そんなことを考えながら、目に入ってくる常識の知識を理解しようともせずにページを次々とめくっていく。
退屈な毎日。
そんな何の変化もない時間の流れの中に私は居た。
そして、今日も何も変わらない一日が過ぎて行こうとしていた。



???「ちゃんと私の話を聞いるのですか? ユキ」
そんな機械的な作業を続けていると、頭の上から私を呼ぶ声が聞こえた。
ページをめくっていた手を止め、知識を映し出していた目を声の聞こえた方へ向けると、そこには訝しげに私の事を見る見慣れた人物が立っていた。 年の頃はヒトで言うと二十代前半の女性。発せられた律儀な口調がこの女性の性格を現している・・・わけでもなく、
温和で人当たりも良く、誰からも信頼されている。そんな女性。
ユキ「聞いてますよ・・・先生」
プレシャ=メルクリウス。
それが彼女の名前。そして、彼女は私の担当の教員でもある。
既に数えるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいの歳月を生きているはずだけど、この若さで居られるのは彼女が守護者となっている為。
守護者と呼ばれる者達は時間と呼ばれる楔からから解放され、私達とは違う次元を生きている者達のことで、寿命と呼ばれるものは無い。
守護者が死ぬ時は、世界が崩壊する時かその者が守護者としての役目を終えた時である。
成り方は個々によって色々あるけど、良く耳にするものは三つ。
まずは、天使へと昇華した者。
天使とは普通、ヒトと同じ様に男女の間の云々によって繁栄していく者であるけど、極希にヒトだった者が天使へと昇格する場合がある。
天使としての能力を持たないそれらの者達は、守護者になることによって能力を得ることが出来る。
ただしその能力は不安定な為、なんらかに特化した能力が出来上がる可能性があり、その場合、庭の監視下に置かれる場合がある。
次に、封印指定を受けた者。
後にも先にも現れない希少能力を持った者は、その能力を永久に保存するという目的で、本人の意思に関わらず封印指定を受ける。
しかし、その場合は能力事態が封印されることもあり、その者の魔力の成長は一切無くなってしまう為、これを嫌う者が数多く居る。
そして、熾天使、智天使、座天使と言った上位階級に属される者。
彼らの場合、存在自体が世界と結びついていることもあり、世界を保護する役目を終わらせるまで守護者として居続けなければならない。
それがいつになるのかは分からないけど、年齢が四桁を越す天使も中には居るらしい。
そんな守護者に先生がどうやってなったのかは分からないけど、私が何十人になって襲い掛かっても適うはずがなので、守護者に見合うだけの能力は確実にあると思う。
プレシャ「もうすぐ卒業するのですから、もうちょっと真面目に・・・」
ユキ「『勉強しなさい』でしょ?」
ここ最近、先生から何度も聞いてる台詞。その台詞に私はいつもの様に同じ言葉で対応する。
プレシャ「わかっているのなら・・・」
困った表情で私の顔を見る先生。
ユキ「だって、私の成績なら試験だって全然問題ないんでしょ?」
プレシャ「・・・そうなのですけどね」
私の成績は庭の中でも上位に入っている。
同学年の天使たちからは、勉強してないのに何で・・・とか思われてるみたいだけど、これでも一応、授業は真面目に受けているし、試験前にもちゃんと勉強していたりする。
まぁ、成績って言っても学力が基準と言うわけではなくて、天使の素質が基準となっているから、天性の能力のせいもあるのかもしれないけど・・・。
庭での成績は、自然現象や天体の運行の知識と、戦闘能力の基準である魔力の二種の合計の高さによって決まる仕組みになっていて、
知識に関しては筆記試験によって成績が出されるけど、魔力に関してはその殆んどが実技試験によるもので、
地・水・火・風・光・闇・無。それら七属性の能力判定を行い、基準の数値を満たしていれば合格とされ、その値で成績が出される。
前者に関しては勉強すればどうにかなるけど、後者に関しては完全に個々の能力に委ねられているので、
私の場合も、六個の属性は全て合格基準を満たしているのだけど、苦手な火の属性に関しては基準を大きく下回っていた。
そんな感じで庭に入った当初から成績を付けられていき、個人の合計得点がある規定値を満たした時点で卒業が決まる。
私も今年で卒業を言い渡され、今度の試験を無事通過すれば晴れて一人前の天使になることが出来る。
プレシャ「でも、試験まで休みなのですから、庭に来たということは勉強をしに来たのではないのですか?」
そう。最終試験の前の二ヶ月間は自由登校の期間となる。
卒業をするための準備とか、試験に対しての勉強とかをする期間なので、余裕のある者は何もしないで遊んでいても大丈夫な期間。
だから普通なら庭になんか来なくても良いんだけど、私は少しでも多くの魔法を教わろうと先生を捕まえて話を聞いていた。
だけど、教えてくれるものは初歩的なものばかりで、誰にでも簡単に扱えるもの。
そんなものは私も既に習得済みで、今更同じ事を繰り返しても暇なだけだったから、どうしてもさっきの様に機械的な作業を続けてしまう。


ユキ「先生」
その退屈な時間に我慢が出来なくなってきた私は、手を上げて先生に話しかけた。
プレシャ「なんですか?」
ユキ「それだったら、こんな小さな魔法よりも、もっと大きいやつ教えて下さいよ」
読んでいる魔導書の中に書かれている知識は、何枚ページをめくってみても簡単なものばかり。
庭に入ってきたばかりの天使には難しいかもしれないけど、私にとっては本当に初歩的な知識ばかりだった。
確かに、授業中に使ってる魔導書よりは幾分かマシだけど、『誰にでも使える中級魔法』とか言う本のタイトルからして何処か胡散臭い。
プレシャ「大きいやつ・・・例えばどんなものが良いのですか?」
先生にしては珍しく私の話に乗ってくれた。
ユキ「そうだな・・・」
少しの思案。折角珍しく会話が進んだんだから、ここは思い切って大きな事を頼んで見るのも良いかも。
ユキ「古代書に載っているの・・・とか?」
プレシャ「却下です」
悩んだ後、目を輝かせながら言った言葉に対しての答えは即答だった。
ユキ「うぅ…。も、もしかしたら使えるかも知れないじゃないですか・・・」
プレシャ「使えたとしても上からの許可は下りないでしょうね」
ユキ「あ・・・」
そうだった・・・。
古代書に載っているものは、古代魔法・・・エンシャルトーンと呼ばれている、自力で唱えることのできる魔法では最高クラスの魔法。
この魔法に属するほとんどが禁忌とされる危険なものなので、古代書が古代遺跡より発見され次第、庭によって管理、封印される為、一般にはその存在すら明かされていない。
もしも存在したとして古代魔法の知識を得たとしても、その詠唱は全てルーンを用いて行う。
しかし、そのルーンの使用方法はどの文献にも記されてなく、全て自分で調べ、その脳と自身の魔術回路に記憶しなくてはならない。
習得することは可能。使用することは不可能。
今現在。古代魔法を使える術者はエルフなどの類にしか居ないとされている。
黙ってしまった私を見て、先生はおもむろに立ち上がると教室の窓際へと歩きだした。


プレシャ「そうですね・・・」
プレシャ「天候を変えるとか。それくらいのものなら教えてあげても良いですけど」


窓を覗き込むようにして空を見上げながら先生がぽつりと呟いた。
ユキ「天候を・・・変える?」
プレシャ「えぇ。雨や雷、雪を降らせたり、逆に上がらせたりする魔法」
プレシャ「自然現象を任された守護者達が良く行っている魔法・・・と言うより、守護者の持つ能力ですね」
プレシャ「天候と言うものはそもそも、地水火風の四大精霊達が必要に応じて変えているものなのですが、時々、その精霊の力が弱まる時期がありますよね?」
ユキ「えっと、洪水とか旱魃が起こる時ですよね?」
プレシャ「そうですね。そんな時に、自然現象を司る事になった守護者は自らの魔力を使って天候を変えることが出来るのですよ」
プレシャ「その力は真夏に雪を降らせたり、真冬に真夏並みに温度を上昇させたりする事が出来るほど強力だと言われています」
ユキ「守護者が使う魔法なんて、私なんかが使えるんですか?」
自然現象を司る守護者は天使の中でも特別な存在で、その魔力は、私達、第九階級の天使の数十倍にも及ぶとも言われている。
逆に言えば、それだけの魔力が無いとその役割は務められないということになる。
だから私なんかがそんな魔法使ったら、使う前にエーテル体が吹き飛んでしまいかねない。
プレシャ「もちろん。一、天使がこの魔法を使うことなんて出来ませんよ」
プレシャ「私が教える魔法は、精霊に力を与えて天候を変える魔法の事です」
ユキ「精霊に力を?」
プレシャ「精霊に力をほんの少しだけ与えることによって、寒い時期に雪を降らせることくらいは出来るようになるのですよ」
なるほど。
要するに守護者達が使う天変地異の魔法ではなく、対象の精霊の力を少しだけ強めて天気を変更させる魔法だと言うことかな?
例えば、真冬は風と水の精霊が活性化しているから、その二つの精霊に自分の魔力を少しでも分ければ、更に寒さを増す事が可能だ。
上手く与える魔力を微調整する事が出来れば、それによって雪を降らす事だって可能になるのかもしれない。
ただ、精霊の魔力と私の魔力とでは差がありすぎるから、火と土の精霊に魔力を与えたとこで、活性化している精霊の魔力には到底及ばない。
だから守護者の様に、真冬に日照りを起こさせるような事は出来ないと言う事だ。
ユキ「その魔法、面白そうですね」
天候を変える魔法と言うより、精霊に力を与える魔法と言う事になる。
それでも、そんな事が出来るなんて結構凄い魔法かも知れない。
プレシャ「気に入ってもらえましたか・・・」
プレシャ「だけど。教えてあげるかわりに、目の前にある魔導書をちゃんと読んでくださいね」
ユキ「えー・・・」
私の目の前にあるのは、机の上に置かれたさっきまで読んでいた魔導書。
残りのページは大体百ページ程。
結構、写真や図面が多くて、どちらかと言うと資料集みたいなものだけど、最後まで読み切るのには苦労しそうだ。
ユキ「先生・・・意地悪です・・・」
だけどこの魔法は教えて貰いたい。
まだ時計の針が昼間を指すのにはかなりの時間があるから、上手く読み進めていけば午後にはこの魔法を教えてもらえるはずだ。
そう思って、さっきまで機械的に読み進めていた魔導書を真剣に読み始めることにした。



プレシャ「・・・そういえば、ユキは研修はどうするのですか?」
残りのページも後僅かになってきた頃、突然、先生が話しかけてきた。
ユキ「研修・・・?」
聴きなれない言葉を耳にして思わず聞き返す。
プレシャ「えぇ。知らなかったのですか?」
ユキ「初耳ですけど・・・」
ユキ「どこかに行ったりするんですか?」
私の記憶の中に研修と言う言葉は浮かんでこない。残りの庭での大きな行事は卒業試験と卒業祭くらいだと思ったけど・・・。
そんな私の様子を見て、先生は呆れたような顔をして軽い溜め息をつく。
プレシャ「ふむ。本当に知らなさそうですね」
プレシャ「先輩方の話で聞いた事があるかもしれませんが、卒業試験の後に地上への研修と言うカタチで最終課題が出されるのですよ」
プレシャ「行くかどうかは個人の自由ですけど、行った方が何かと便利なのは確かですね」
そういえば聞いた事がある。
私の様な下級の天使達はヒトと接することが多いから、実務に入る前に地上へと下りてヒトを観察する場を設ける為の研修があるって。
所謂、体験学習の様に、百聞は一見に如かずって感じの研修と言う事なんだと思う。
ユキ「それっていつやるんですか?」
プレシャ「卒業試験の後、試験に合格したものに通知が来るはずですよ」
と言うことは二ヵ月後か・・・。
地上に関しては知識としてなら頭の中に入っている。
いつも”上”から視ているし、地上で起こった出来事は随時こちら側に報告されているので、話題としては何度も耳にしている。
ユキ「先生。地上ってどんな所なんですか?」
プレシャ「そうですね・・・」
プレシャ「簡単に言えば、天界とは違って生活感と呼ばれるモノがとても多く感じられる所ですよ」
地上は一つの空間の中に世界が全て在ると思うけど、天界は幾つもの空間の中に世界が存在している、異次元の様な存在。
例えば地上の場合、目的地に着くためには歩いていればいつかは必ず辿り着くとは思うけど、天界の場合はそれが出来ない。
空間自体が違うのだから、幾ら歩いても別の空間へは辿り着けなくて、移動には自身の空間座標を変える必要がある。
私達天界に住む者は、空間制御と言う力を持っている。
使えるのは天界と呼ばれるこの空間の中だけだけど、目的地の座標を設定するだけで空間を移動することが出来る。
要するに、天界には地上の様に”外を出歩いているヒト”という者がほとんど居ないということ。
プレシャ「行く予定でしたら、それに関するプリントを持ってきますけど?」
ユキ「あ、お願いします」
プレシャ「そう。それでは少し待っていて下さい」
そう言って先生が部屋から出て行く。
地上には前から行ってみたいと思っていたし、この目でしっかりと見て置くのも良いかも知れない。
何より、結構楽しそうだ。
ユキ「さてと・・・」
目線を手元の魔導書へと戻して再び読み始める。
残りのページも後少しといった感じで、先生がプリントを持って帰ってくるまでにはなんとか読み終わりそうな気がする。
さっきの魔法を教えて貰う為にも早く読み終わらせないと・・・。