天使の舞い降りた日 第1章 Act.2 精霊魔法

ガラガラ・・・

それからしばらくして、部屋のドアを開ける音と共に先生がプリントを手に持って帰ってきた。
プレシャ「どうぞ。これが研修の概要です」
ユキ「ありがとうございます」
先生にお礼を言って、渡されたプリントに軽く目を通してみる。

日時は今から一ヵ月後。卒業試験の合格者のみに通知が出され、希望者に対して地上への研修を実施する。
期間は一ヶ月間。その間は降り立った町に滞在し、そこで一人の人間との間に信頼関係を築き、その人間の素行を通して周囲の情勢を調べる事。
尚、地上では妖精や精霊などから得られるマナの力が薄いため、魔力の殆んどが制限される。その為、魔力行使は余程のことがない限り行ってはいけない。
魔力が切れた場合は、エーテル体の安定を図るために天界へと強制送還させられる。
そして、無事に一ヶ月の研修期間を終えた者には、その資格と調査した結果相応のモノを進呈する・・・か。

ユキ「この、結果相応のモノっていうのは何なんですか?」
プレシャ「その年毎に違うのですけど、去年は確か、魔力で編みこまれた装飾品だったはずですよ」
魔力を増幅させてくれるアーティファクトか・・・。
庭から進呈されるモノなんだから、それ相応の力が宿った希少なものであることは間違いない。
それを目当てにするだけでも行ってみる価値は十分にあるって事なのかな。
ユキ「あ、そうだ」
ユキ「先生。この本読み終わりましたよ」
プリントに一通り目を通し終わった私は、裏表紙を閉じた魔導書を先生に渡す。
読み終えてみて少しは勉強になったとは思うけど、結局、面白いモノとか目新しいモノとかは全然無かった。
プレシャ「基礎知識は大事な事ですから、少しくらいは役に立つと思いますよ」
そうなのかな・・・。まぁ、ほんの少しだけだけど忘れていた事もあったから、全く無駄になったってわけじゃないけど。
と、そんなことより今は・・・。
ユキ「それじゃあ先生。約束通りに・・・」
プレシャ「・・・分かっていますよ。それでは準備をして魔法院に行きましょうか」
魔法院というのは内部の壁一面に魔法陣が描かれている聖堂のこと。
その構造自体もマナを貯めるのに適した設計になっている為、普通の空間よりも大分魔力が通しやすくなっている場所である。
魔力の精製も普段よりも楽に行える為、単純に魔力を増幅する事が出来るので、大抵の場合はこの場所を使って魔法を会得する事が多い。
プレシャ「それでは一時間後に。そうですね・・・C地区の魔法院の中で待ち合わせをしましょう」
ユキ「はいっ」
新しい魔法を覚えられる嬉しさで気分が高鳴っていたせいか、私は少しだけ高くなった声で返事をした。



重たい扉を押して魔法院の中に入ると、外とは違う冷たい空気が辺りに満ちていた。
いや、冷たいと言うよりは、緊張感が直接肌に伝わってきてピリピリするという感じの方が合っているのかも知れない。
それだけこの魔法院の中にはエーテルが満ち溢れていると言うこと。
床や壁、あらゆる場所に描かれた魔法陣は一種の模様と言って良い程に全体に描かれ、空間に満ちたエーテルに反応しぼんやりと光を放っている。
そんな中、床に描かれた一際大きい魔法陣の中心に先に来ていた先生が立っていた。
ユキ「お待たせしました」
プレシャ「いえ、私も今来た所ですよ」
プレシャ「それでは早速始めましょうか」
その言葉に頷いた私は精神を集中させて準備を始める。
雑念を払い外界との接触は避けて意識を内面へと向け、自身の魔術回路の流れを読み取ることだけに専念することで、純度の高い魔力を作り出すことが出来る。
その魔力が次第に出来上がっていく程、背中がだんだんと熱くなっていき、
その刹那。背中の羽根が生え変わるようにして蒼みを帯びた白い翼へと変わった。
その神々しいまでの光を放つ天使の翼は、地上と天界を行き来する能力、超越性、空間を越える天使の動きの自由さを示す象徴的なものでもあり、
また、霊的な存在。魔力の強さを示すものでもある。
熾天使の六枚、智天使の四枚の翼など、上位天使であればあるほど、天使の翼と言うものはその魔力を保持するように大きくなっていく。
翼を広げきった私はそのまま魔法を唱える姿勢へと入る。
自分の手を前方へと翳して周りの空間に身体を委ね、マナの供給を受け入れやすくする為に一切の抵抗を無くす。
そして、背中の翼へと魔力を流れ込ませるイメージを頭の中に作り出す。

ユキ『ηισ περσον σηοφσ τηε δεαδ'σ σουλ το ινφερναλ,』
ユキ『ανδ μανιπλατεσ σλεεπ ανδ α δρεαμ βυ τηε ποφερ οφ μαζιχ.』

”彼の者は死者の魂を冥府へ案内し、魔法の力で睡眠と夢を操る”
ゼウスの伝令役であった彼は、「霊魂を冥界へ導く者」「霊魂の導師」と呼ばれている。
ゼウスの愛人イオが雌牛になった時、妻であるヘラが遣わした決して眠らない百目の巨人アルゴスが雌牛の見張り役についていた。
ゼウスに雌牛を助け出して来るように命じられた彼は、アルゴスを葦笛で眠らせ退治したという。

ユキ『ιτ ισ ηαδ ανδ μαδε τηε ηανδ』

そして彼が手に持っている彼の象徴たるモノ。
太陽神アポロンをその音色の虜にした竪琴を作り出し、その見返りとしてアポロンから貰った杖。

ユキ『ανδ τ]ηε ναμε οφ α χανε ισ......』

ユキ『"χαδυχευσ"!』

”カドゥケウス”
その言葉は言い放った瞬間、差し出した手の前の空間が歪みはじめ、その空間から一振りの杖が出現した。

これこそヘルメス縁の湾曲した杖。
その棹には様々な力の象徴、知恵と知識、あるいは精神的エネルギーの流れを象徴する二匹の蛇、もしくはバジリスクが巻き付いている。
後世、この杖は公式の使者の象徴、また神聖の印として伝令使や大使が用いるものとなった。
プレシャ「ようやくその杖も馴染んで来たようですね」
そして今の所持者は私。
この杖は、私の家系の守護でもある太陽。その太陽を象徴とする神アポロンの杖である。
ティファレットの家系に生まれた者は、この杖を継承することが定められている。
契約したばかりなので、まだ自身の魔力を完全に通すことは出来ていないけど、それでも先生の言うように少しは馴染んで来ているのは自分でも分かる。
ユキ「それじゃあ、お願いします」
私はカドゥケウスをしっかりと持ち直すと、準備が整ったことを先生に告げる。
プレシャ「では、まずは私が使ってみますから視ていて下さい」
そう言って先生が意識を集中させ始めた。
途端に、私の時とは違い、それだけで辺りの空気がざわめきはじめ、先生に集まるかの様に空気が流れ始めた。
その流れに乗って、この空間に存在していたマナが幻想的な光となって先生の身体に纏わり付いていく。
ユキ「・・・っ」
私とは全く違う、圧倒的なまでの量の魔力の神秘的な流れに目を奪われ、思わず息が詰まる。
所詮、幾ら庭の中での成績が良くても、現役の天使・・・守護者からしてみればまだまだ幼稚だと言う事だ。
そして、周囲から大量のマナを集めた先生が、続けて即座に呪文の詠唱へと入る。

プレシャ『"λιβερατιον"』

”解放”
自分の魔力を解放して、周囲に存在する全てのマナに対して魔力を共鳴させる魔法。簡単に言えば、自分の魔術回路を周囲の空間に繋げる魔法だ。
何かと便利なんだけど、一度に大量の魔力を消費するから余程じゃない限りこの魔法を使うことは少ない。
それを使うという事は今から視る魔法がそれなりに強力だということ。
先生の身体、そして差し出された掌がそれを証明するかのように一段と輝きが増していく。
ユキ「(それにしても・・・)」
先生がまともに魔力を解放した所なんて初めて視た気がする。
魔力を増幅させる為のアーティファクトを手にしていないので、本気って訳じゃないと思うけど、
私の神経をビリビリと揺さ振る魔力の流れは、私とは比べ物にならないほどに大きなモノで、下手な上級の天使よりも勝ってるんじゃないかと思ってしまう。
長い間先生と一緒に過ごしてきたけど、そう思ったのは今回が初めてだ。
普段は大部分の魔力を抑えていることは分かっていたけど、まさかここまで凄い量の魔力を持っているとは思わなかった。
そんなことを考えながら、段々と魔力を練り上げていく先生の姿を見ていた。
プレシャ「それじゃあ使いますから・・・よく視ていて下さいね」
魔法を使うための魔力が集まったのか、一度私の方に笑みを向けた先生は、すぐさま真剣な眼差しで前を見据え呪文の詠唱に入る。
そして、先生の唇が詞を紡ぎ始めると同時に辺りが緊張感でピシッと張り詰める。

プレシャ『ηε ισ ηιζηεστ Ζοδ οφ τηε Ζρεεχε μυτη』

プレシャ『ανδ ισ τηε φατηερ οφ ζοδσ ανδ ηυμαν βεινζσ.』

詠唱と言うものは自己を変革させるものなので、個々によって様々だから先生が何を言っているのかは理解することは出来ない。
その緊張感が解けるのと同時に、先生の手の内に一つの球体がカタチを成して行く。

プレシャ『τηε μοιστυρε ιν αιρ χηανζεσ το φατερ.』

そして、魔法の真名を言い放つと同時に天へと手をかざすと、今まで先生の身体や翼に纏わりついていた幻想的な光が、天へと伸びる一直線の閃光となった。
その膨大なまでの魔力の柱から感じ取れる何かに惹かれるように、気が付くと私は魔法院の重い扉を開けて外へと飛び出していた。


見上げた空。
魔法院の天井を通り抜けるようにして突き抜けた光は、魔法院を中心にした周囲の空を覆うように埋め尽くしていた。
今まで見たこともない上級者の魔法。私は唯、その光に覆われた空を呆然と眺めていた。



ぱらぱらぱら
どれだけその光景に心を奪われていたのかは分からない。
空を覆っていた光が消えて私の意識がはっきりしてきた頃、私の視界を何か白い小さなものが横切っていった。
そして、それを目で追おうとする前に頬に当たるひんやりと冷たい幾つもの感触。
次々に肌に当たるその冷たさで、上気していた気分が急激に冷やされて完全に意識が覚醒した。
ユキ「・・・水?」
冷たさを感じ取った頬を拭ってみると、指先に付いたのは水滴。これは・・・
その水滴を見て思い当たった答えを確認するために、再び視界を空へと向ける。

ユキ「わぁ・・・」
視界いっぱいに入ってきたその光景を見て、私は思わず感嘆の声を上げてしまった。
白い結晶・・・小さな粉雪が、先生の魔力の影響を受けているせいか、ぼんやりと青白く光り輝きながら降り注いでくる。
今が昼間だと言う事に少しだけ妬ましさが込み上げて来る。
もしも光が一切無い闇夜なら、花火や蛍よりも綺麗に、真っ暗な闇を照らし出すこの雪がどれだけ幻想的に見えただろう。
プレシャ「気に入って貰えましたか?」
声の聞こえた方へ振り返ってみると、魔法院の壁に身体を預けた先生が私の事を見ていた。
プレシャ「少し力が入り過ぎてしまった様で魔力が拡散してしまいましたが、成功すれば自然現象のソレと全く同質のモノにすることも出来ます」
プレシャ「この魔法なら上級のモノに入りますし、ユキなら気に入ると思うのですが」
ユキ「あ、はい」
この魔法だったら今すぐにでも覚えて使ってみたい気がする。
ただ・・・
ユキ「先生。一つ聞いても良いですか?」
ユキ「この魔法、どうやって使えば良いのか分からないんですけど・・・」
先生の言った通りに魔力の流れはしっかりと視ていたはずなんだけど、根本的な事、核となる部分が全く分からなかった。
精霊に力を与えるって言ったって、まだそんな事は一度もした事はないし、どうやるのかも分からない。
私達が良く使う魔法は、基礎魔法を組み合わせることで使えるようになってるんだけど、天候なんていうあやふやなものを魔法を組み合わせただけで扱えるとは思えない。
それに、今まで読んできた魔導書とかにはこれと似た様な魔法なんて一言も書かれてい無かったと思うし、聞いたことも無い。
プレシャ「ふむ。ユキは属性の話を知っていますか?」
ユキ「知ってますよ。魔法を扱う際に一番初めに習う事だし、基礎中の基礎じゃないですか」
プレシャ「そうですね。では、少しだけお浚いしてみましょうか」
プレシャ『圧縮率・・・変更。構築』
そう言って、先生が空間から一冊の本を取り出して目当てのページを開いて話し始めた。
プレシャ「この世界は『火』・『土』・『風』・『水』の四つの力からなり、全ての魔法生物もこの四つの力のどれかに属しています」
プレシャ「それらの力には相性があり、『火』と『風』・『水』と『土』は最も相性の良い組み合わせとされ、魔法を使う際にもこの組み合わせは良く使用されています」
プレシャ「また、『火』←『土』←『風』←『水』←『火』と強弱が決まっていて、この関係が全ての生命と物質に互いに影響し合う事で、世界の均一を保っているともされています」
プレシャ「なので、この属性の事を知らなければ、どんなに強い魔力を持った天使でも魔法を十分に扱う事は出来ないでしょう」
プレシャ「・・・と、まぁ、基礎知識はこれくらいにしておきましょうか」
プレシャ『圧縮率・・・変更。解放』
誰でも知ってる基礎知識を話し終えた先生が、持っていた本を再び空間の中へと移動させる。
こんな話を聞かされても、先生がさっき使った魔法を使えるようになる訳は無いと思うんだけど。
プレシャ「それでは、それぞれの属性を取り仕切ってる精霊の事も知っていますよね?」
ユキ「えっと・・・」
ユキ「火はサラマンダ−、地はノ−ム、風はシルフ、水はウンディ−ネ・・・ですよね」
とりあえず基本となる精霊の名前を挙げてみる。
プレシャ「良く出来ました」
プレシャ「さっきも言いました様に、この魔法は精霊に力を与える事を目的とした魔法です」
プレシャ「私は先程、この魔法院一帯に存在する水と風の精霊に力を与えたのですよ。"解放"と言う魔法を使って」
ユキ「あ」
その言葉でようやく理解することが出来た。
そうか、魔法院周辺のマナと魔力を共鳴させると言うことは、同時に、周囲の精霊達とも共鳴させると言うことだ。
魔術回路を繋げる事が出来れば、それは自分自身と同じ存在になるわけだから魔力を送り込む事だって出来るようになる。
つまり、回路の流れを水と風の精霊に向ければ自然とそこへ魔力が流れていくわけか。
プレシャ「ふむ。気付いたみたいですね」
プレシャ「まぁ、天候を変えると言えば大袈裟な様に聞こえますが、実際には簡単な魔法の応用で出来てしまう魔法なのですよ」
プレシャ「基礎知識が大事と言うのが、少しは分かりましたか?」
ユキ「はい・・・」
基礎を固めなければ応用が利かない・・・か。
そんないつか先生に何度も言われた言葉を、頭の片隅にでも置いておく事にする。
プレシャ「と言っても、"解放"が簡単な魔法と言うわけではないのですけどね」
さっきも言ったように、この魔法は自分の魔術回路を周囲に広げるために大量の魔力を消費することになる。
魔力量の低い者がこの魔法を使えば、魔術回路を繋げるどころか、逆に世界に魔力を吸収されてしまうことになるだろう。
ユキ「私も習得はしてますけど、使ったことは無いです」
危険だからと言う理由もあるけど、そこまで大きな魔法を今までに使ったことが無いせいもある。
プレシャ「ふむ。まぁ、学生が使う様な魔法ではありませんからね」
プレシャ「それでは別の方法で精霊に魔力を与えてみましょうか」
ユキ「別の方法・・・ですか?」
プレシャ「えぇ。少し大変かもしれませんが、四大精霊自体と契約してしまえば魔力を流すことが容易になりますから」
ユキ「えっ?」
精霊自体と契約・・・?
プレシャ「危険を伴うよりは遥かに良い方法だとは思います」
ユキ「ちょ、ちょっと待ってください。四大精霊と契約だなんてそんな事出来るんですか?」
四大精霊。つまり、サラマンダー・ウンディーネ・シルフ・ノームの四大元素の長と呼べる精霊のことだ。
プレシャ「ユキ程の力があれば大丈夫ですよ」
ユキ「そ、そうなんですか・・・?」
そんなことを言われると本当に大丈夫そうに聞こえるけど、結構不安だ。
先生は簡単に言うけど、精霊との契約はかなり難しいものだ。それが四大精霊との契約だったら尚更のこと。
精霊との契約はその精霊の力を借りるというわけで、簡単に言えば釣り合ってる天秤の片方からいきなり重りを取り除いてしまう事と同じ事だ。
だから契約者自体が、その失った力相応の『モノ』を持っていなければ世界のバランスを崩してしまうことになり、そうなれば取り返しの付かないことが起きる。
その為、魔法の印を踏むだけの契約とは違い、精霊との契約の時には力が試される事が多い。
それは精霊によってそれぞれ違うんだけど、どれも楽じゃないことは確かだ。
ユキ「先生も精霊とは契約してるんですか?」
プレシャ「いえ、私の場合は四大精霊とはほとんど同等の立場ですからね。使役する必要は無いのですよ」
プレシャ「まぁ、どの精霊もユキが想像しているよりは良い者達だと思いますから、契約は楽に行えると思いますよ」
プレシャ「それに四大精霊と契約してしまえば、卒業試験にも役に立つとは思うのですが」
確かに、四大精霊と呼ばれる精霊と契約すると言うことは、一種の大きな資格を取得したと同じ事だ。試験を有利に進める事だって出来ると思う。
ユキ「・・・本当に私でも出来るんですか?」
プレシャ「えぇ、私が保証しますよ」
私の不安を取り除いてくれるかの様な表情と穏やかな口調で言葉を返す。
ユキ「・・・・・・」
ユキ「・・・それじゃあ・・・お、お願いします」
四大精霊と渡り合える程の力が私にあるとは思えないし、契約が簡単に成功するとも思えないけど・・・。
昔からそうして来た様に、今は先生の言葉を信じる事にした。